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【特別寄稿】『ハイランド』の山旅 2019〈2〉田中健(会員)

ハイランドで山スキー

12月18日

■ハイランドの冬の朝

フォート・ウィリアムのアレクサンドラ・ホテルのベッドで、朝目を覚ます。日が短いのでなかなか明るくならない。8時近くなっても外はほぼ真っ暗。

スコティッシュ・ブレックファスト

ホテルの朝食はバイキング形式。せっかくなので、卵やソーセージ、ベイクドビーンズ、フライドトマトに加え、ブラックプディングやハギスも取ってスコティッシュ・ブレックファストにする。朝食を終える頃には空に青みが差し、ホテルの窓から北西の方角の山がよく見える。森林限界が低く、山にはほとんど木がないので、雪が積もったてっぺんは真っ白に見える。天気はいいようだ。
今日はいよいよ今回初めての登山。ネヴィス・レンジのスキー場から山スキーでウーナッフ・モール Aonach Mor(1221㍍)とウーナッフ・ベーク Aonach Beag(1234㍍)の2つのMunro*に登頂する計画だ。天候や雪の条件が悪ければウーナッフ・ベークは諦めるが、少なくともウーナッフ・モールまでは行きたい。
放射冷却で気温が下がったようで、車のフロントガラスには霜の花が咲いていた。というより霜の葉が茂っていた。羊歯のような葉っぱが。9時にTたちを宿に迎えに行き、一路ネヴィス・レンジへ向かう。ネス湖につながるグレートグレン(大谷?)沿いのA82を北東へ車を走らせると前方に茜雲が広がり、やがて右に、青空を背景に英国最高峰ベン・ネヴィス Ben Nevis(1344㍍)がくっきりと見えてくる。まだ日は昇らず日影だが、青白く輝き、ミックス・クライミングの殿堂たる北壁の岩も黒々。

右がベン・ネヴィスの北壁。左はカーン・モア・ジェラック
左がネヴィス・レンジのスキー場とウーナッフ・モールの尾根。右にカーン・モア・ジェラックとベン・ネヴィス

ベン・ネヴィスの左は、14年前の秋にここからベン・ネヴィスに登ったカーン・モア・ジェレック(1220㍍)の稜線だ。A82から右へ、ネヴィス・レンジへの道に入ると、正面、カーン・モア・ジェレックのさらに左に、横長の台形型の大きな尾根というか山が見えてくる。中腹から上は真っ白だが、下にはほとんど雪がない。あの白い部分がスキー場で、その上の奥、見えないところに、今日目指すウーナッフ・モールの山頂があるのだろう。

■ゴンドラに乗ってスキー場へ

フォート・ウィリアムから20分ほどで、ネヴィス・レンジのゴンドラ乗り場の駐車場に到着。雪は無い。ここに車とTたちを残して、私たち二人はゴンドラでスキー場まで上がるのだ。駐車場には10台ほどの車があり、スキーを出して準備している人が何人もいる。装備を見る限り山スキーの人たちが多いようだ。身支度を調え、昨日借りたスキー靴を履き、スキーとストックを手に持ち、他の人たちに従って、ゴンドラのチケット売り場に並ぶ。ところが、チケットを買おうとすると、窓口の女性に「スキー場はまだやってませんよ」と言われる。スキー場のオープンは明日らしい。しかし、山スキーの格好をした人たちは、どんどんゴンドラに乗っている。リフトが動いていなくても、自分たちの足で上がるから大丈夫だと説明するのだが、この仕事を始めて間もないらしい女性には理解できないようだ。彼女が上司らしき男性にお伺いを立てて、やっとチケットを売ってもらえた。
ゴンドラは、日本のスキー場にもよくあるのと同じようなもの。標高100㍍の乗り場付近にはほとんど雪がなく、わずかな草の上にチラホラ見える程度だったが、上がるにつれて次第に増え、標高650㍍のゴンドラ終点付近では、スキーできるほどになる。といっても10〜15㌢程度だが。
ゴンドラ駅を出ると、目の前にウーナッフ・モールの斜面=スキー場が広がっている。太陽はこの大斜面の陰にあるので、完全に日影。お日様は当分拝めそうにない。天気は好いままだが、絹雲も浮かんでいる。

ゴンドラを降りると目の前に

■シール登高でゲレンデを登る

既に登っている人の姿が見えるので、こちらもシールを付け、10時20分に後を追って登り始める。大斜面を直登するルートにもリフトは見えるが、傾斜がきつく、右方向の尾根から回り込むように登る方がよさそうだ。実際、先行者のシュプールはその方向についているので、これをたどることにする。スキー場内のあちこちには、牧場の木の柵のようなものが、コースとコース外を分けるように設置されており、その一つに沿って右へ緩い斜度で登っていく。雪は、クラストしている上に圧雪車で踏み固められ、キャタピラの跡がガタガタと付いていて歩きにくい。これでは滑りも期待できない。

振り返ればネス湖方面の山々が見える
フォート・ウィリアムの町も見える

振り返ると下に、ネス湖に続くグレートグレンのロッヒー湖(ロッホ・ロッヒー)とその向こうの山並みが広がり、進行方向右手にはやがて、フォート・ウィリアムの町が見えてくる。山並みは標高600㍍ぐらいから上が真っ白で、境目が一直線に見える。こういう光景は、外国の写真などでは見かけるが、日本では見た記憶がない。一つにはやはり、森林限界が低くて山にほとんど木がないことが関係しているのだろう。空には青空が広がっており、絶景と言ってっていい。
やがて、シュプールが左右に分岐しているところに来る。2〜300㍍ほど先に見える先行パーティは、右の水平に近いルート(ルートA)を取っているようだ。しかし、左には、もう少し急角度に斜面を登っているシュプールがあるので、我々は高度を稼げそうなこちらのルート(ルートB)を採ることにする。帰りにはルートAを下ることになった。

■天候悪化の中、ゲレンデトップへ

かなり風が出てきて、前方には雲が広がってくる。我々のルートBはやがて沢形に入っていく。ごく浅い沢形だが、沢底には水が流れている。細い流れだが、スキーを履いたまま渡れるかは微妙。沢を渡らずに左の斜面を直登することも可能で、実際ここを登っている人の姿も見えるが、この人はつぼ足かアイゼン。こちらはちょっと急だし、スキーのシュプールもないので、そのままのルートを進む。沢にスノーブリッジはなかったが、標高910㍍付近の一番“沢幅”が狭いところで、“またぎ越す”ことができた。妻も苦労しながら何とか越える。ここで、歩き出して50分ほど。

沢を渡って対岸の尾根へ
雲が増えてくる
このときはまだスキー場がよく見えていたが…

沢の対岸の斜面を登り、沢に並行して延びるリフト沿いを登っていると、上から来た何人かのパーティーが、この沢形を滑り降りて行った。確かに、ここは多少柔らかい雪がたまっており、彼らにとっては貴重なパウダーなのだろう。われわれも帰りは、できればここを滑りたい。
風はさらに強まり、前にも後ろにも、もう青空は見えない。前方の尾根の向こうに一瞬だけ、ベンネヴィスの北壁が見えたが、すぐに尾根に隠れて見えなくなってしまう。上から降りてきた人に話を聞くと、尾根を西(下から見て右)の方に回り込んで行けばベン・ネヴィスは見えるかも知れないが、山頂は雲の中で何も見えなかったとのこと。確かに前方はもうガスの中。ウーナッフ・ベークまで行くのは難しいかも知れない。

スキー場の柵沿いに登る

尾根上をジグを切りながらなおも登っていくと、リフトの鉄塔の上と下で数人が作業をしていた。明日のオープンに向けて整備でもしているのか。既に吹雪模様で大変そうだ。すると、リフトの向こうの沢形を何人かが歓声を上げながら滑り降りて来た。鉄塔の作業員から大きな声がかかる。何と言っているのかわからないが、囃し立ててでもいるのだろう。その時はそう思っていたが、どうやら違ったようだ。われわれも、滑るのならここだろう。何しろ、今登っているところは固くガタガタで、とても快適な滑りは期待できない。
11時30分頃、標高1100㍍付近の、先ほどのリフトの終点に着く。ここから左上にもう一本ロープトウがあってスキーコースが続いており、標高差80㍍ほど登れば、1180㍍のスキー場最上部だ。既に地吹雪状態で、視界も数十㍍。もはやウーナッフ・ベークはおろかウナッフ・モールまで行くのも難しいが、せめてスキー場トップまでは行きたいところだ。しかし、その一方で、今ここから降れば、沢沿いの“パウダーコース”に滑り込めるが、上まで行っていたら、戻って来る頃には沢コースへの入り口を見つけられないだろうという思いもある。少々迷うが、劇的に天候が回復する可能性もゼロではないと思うことにして突っ込む。どんどんホワイトアウトしていく中、登っていくと、雪がびっしりと付いたトタン張りの小屋とロープトウの終点に達する。11時50分。昨日スキーを借りた店で聞いた「登り約1時間半程度」という話とほぼ同じタイムだ。

やっとスキー場のてっぺんに到達

■ホワイトアウト下の滑降

ウナッフ・モールの山頂はこの広い尾根の先で、標高は1221㍍だから40㍍ほどの登りしかないが、稜線上はほとんど平らで、距離は1㌔近くある。札幌の余市岳の山頂部のような感じだ。全く何も見えず、顔も上げられないほどなので、行くのは無理。諦めるまでもない。帰り支度をしようとしていると、いきなりガスの中から人影が現れた。スキー場からの直登ルートの急斜面を登ってきたのだろう。30歳ぐらいの単独行の男性。つぼ足だ。ロンドンから来たとのこと。Munro Bagger*に違いない。「ウナッフ・モールまで行きたかったけど、諦めるよ」と私が言うと、彼は、無理かも知れないが行ってみる、と山頂方向に向かった。しかし、ものの2,3分もしないうちに、「ダメだ、何も見えない」「全然どっちかわからない」と戻ってきた。「Munroだから、行きたいよね?」と訊くと、「また来る機会もあるさ」と答えて、往生際よくさっさと降っていった。

まともに滑れない

我々もシールを外し、とりあえずは登って来た方向にブリザードの中を降っていくが、カリカリのアイスバーンの上に、ホワイトアウトで何も見えないために平衡感覚も狂いがちで、うまく滑れない。雪が少ないので岩が出ているところや隠れた岩も少なくなく、借り物のスキーでは、スキーの裏を傷つけるのが怖くて思い切って滑れない。
先ほどのポイントから沢形に入ろうとするが、案の定もうどこがどこやら全くわからない。仕方なく、登ってきた尾根を、近づけば何とか見えるリフトの鉄塔に沿って滑っていく。おっかなびっくりのシュテム・ターンで。妻には特に厳しい条件だったが、苦戦しながらも、それでも何とか降ってくる。

もう滑りを楽しむどころの話ではない。早く帰りたい。登りの渡渉点は使わず、そのままリフト沿いを降る。たぶんこのあたりが、登りで先行者が採った「ルートA」なのだろう。途中、リフトの下が、雪が柔らかくて滑りやすそうだったので、柵を越えて入る。たしかに、他の場所より滑りやすかったのだが、鉄塔の上の作業員に「リフトの下は滑るな!」と大声で注意される。登りにすれ違ったスキーヤーもこれを注意されていたのか。

かなりの強風

標高770㍍付近で川を渡って右岸に移り、「ルートA」と思われるところを斜滑降で降っていく。降れば天候も回復するかと思っていたが、ガスは晴れてきたものの、強風は変わらない。ゴンドラ駅まで降ってきたときには13時30分過ぎになっていた。下りにも1時間半、登りと同じ時間がかかってしまったわけだ。滑りは全く楽しめなかったというのに。それに、結局はスキー場の中を登って下ってきただけだ。まあ、この天気では仕方がない、朝は眺めも満喫できたし、いい経験をさせてもらった、と前向きに考える。しかし、結果的にはこれが今回最初で最後のスキーとなってしまった。

強風に揺れるゴンドラ

ゴンドラ駅には山頂で会った青年もいたが、挨拶する間もなく、ゴンドラの係員がやって来て、強風のために、もうすぐ運航停止になるから、早く乗ってくれと急かされる。これに乗り損なったら歩いて降らなければならないよ、と脅され、慌ててスキーを外しゴンドラに駆け込む。搬器が激しく揺れ、鉄塔に激突するのではないかと心配になるほどだった。こんなに揺れるゴンドラ、ロープウェイに乗ったのは初めてだ。
14時過ぎにゴンドラを降りると、TとJがカフェで待っていた。登山道を歩いたり、ゴンドラの乗って上まで行ったりしていたそうだ。われわれと同様、係員に促されて先ほど、揺れるゴンドラで帰ってきたばかりのところだという。スキー一式を返却するために、二人と一緒に一旦車でフォート・ウィリアムへ戻る。山道具屋のエリス・ブリガムにはスキー担当者はおらず、店長らしき人物に返却する。

■インヴァネス駅隣のロイヤル・ハイランド・ホテル

再びグレートグレン沿いのA82を北東へ走り、一路今夜の宿泊地インヴァネスへと向かう。北海に面した北東のインヴァネスから、大西洋に面した南西のフォート・ウィリアムまで、ハイランドを横断して横たわる大きな谷間だが、その中にあるロッヒー湖とネス湖は運河でつながっており、105年前に辻村伊助は、インヴァネスからフォート・ウィリアムまでここを蒸気船で移動している。

ハイランド・カウ

既に15時近いので、明るいのはあとわずか。時間があれば、ネス湖やその畔のアーカート城などの観光地にも立ち寄ってみたいと思っていたが、もう無理だろう。スピアン・ブリッジを過ぎたあたりで道端の牧草地に、Tがしきりと会いたがっていたハイランド・カウ(牛)を発見し、車を降りて写真を撮る。毛むくじゃらで、角を生やした姿が、何とも愛嬌がある。それから、ロッヒー湖、フォート・オーガスタスを通り抜け、ネス湖に出る頃にはほとんど真っ暗。止まらずに走り抜けるしかない。

 

ロイヤル・ハイランド・ホテル
ロイヤル・ハイランド・ホテルの大階段

17時頃にインヴァネスに着く。Tたちを彼らのホテルに送り届けた後、自分たちが泊まるホテルへ。鉄道のインヴァネス駅に隣接したロイヤル・ハイランド・ホテルだ。インヴァネスはハイランド地方最大の都市。フォート・ウィリアムより遥かに大きい町なので、このホテルも、昨晩泊まったアレクサンドラ・ホテルよりさらに古く大きく立派な石造りの建物だ。ホテルの玄関前は駅前広場で、そこには駐車スペースがあるのだが、既にいっぱい。フロントで訊くと、近くのショッピングセンターの地下駐車場に駐めろという。またまた右往左往した挙げ句、何とか車を駐めてチェックインする。ホテルの内装もなかなか立派で、玄関を入るとロビーには大階段が。踊り場から上は90度曲がって左右に分かれる、上から見たら丁字型、横から見たらY字型。
さて、ここで久々に辻村伊助の『ハイランド』。1914年6月18日に辻村は、ケールンゴルムのアヴィモアから午前11時40分の汽車で、降りしきる雨の中をインヴァネスへ向かい、座席で眠り込んでしまう。そして「同乗の旅客にゆり起こされるともう停車していた。いつの間にかインヴァネッスへ着いたので、プラットフォームにつづいたステイションホテルに入った時二時少し前、すぐ昼飯をすまして、レインコウトをひっかけて表へ出る」と書いている。この「ステイションホテル」の描写は、まさに、今私たちが泊まろうとしているロイヤル・ハイランド・ホテルのことではないのか?このホテルは1859年創業だというから、辻村が来たときに既にあったのは確かだ。しかし、ホテルの名前が違う。辻村は、単に一般名詞としてステイションホテルと書いたのだろうか?
などと考えていたら、ホテルのロビーに、現ロイヤル・ハイランド・ホテル=旧ステイションホテルを立証するようなものを発見した。「INVERNESS. The Highland Railway Company’s STATION HOTEL 」の文字が大きく頭に入った宿泊料金表入りの文字だけスミ一色刷の古いポスターが、額に入れられて飾られていたのだ。やはり、ここが「ステイションホテル」だったのである。その頃は駅に隣接した鉄道会社経営のホテルはみんなステーションホテルという名前だったのかもしれない。

■雰囲気のよいパブ

辻村の真似をした訳ではないが、われわれも一休みしてすぐ表へ出た。少しは観光も、ということで、高台に建つインヴァネス城へ。ライトアップされているし、昼でも中には入れないらしいから、夜でも問題はない。城とはいっても、エディンバラ城とは大違いで、ちょっとした館といった感じ。裁判所として使われているらしい。10分足らずでぐるっと一周。インヴァネスの町とネス川を見下ろす。ハイランドの首都と呼ばれるインヴァネスだが、街中にはあまり観光名所はないようだ。

キャッスル・タヴァーン
ステーキ&キドニー・パイ

それから、城の正面玄関前のパブ、キャッスル・タヴァーンへ。前庭を通ってパブへ入っていく形で、地元客も多く、なかなかいい雰囲気。カウンターにはハンドポンプが6つ並んでおり、6種類のキャスクエールが飲める。店員の応対もよく、わたしたちはステーキ&キドニーパイなどを食したが、これもなかなかうまかった。その後、Tたちもこのパブに合流したが、その頃にはかなり店が混んできて、席は別々。実はこの日はクイズナイトで、それ目当ての来店客も多いようなのだ。パブのクイズナイトは、客がチームを組み、参加費を払って店側が出すクイズに答えていき、チームごとの得点を競うというもの。『バーナビー警部』などの英国ミステリドラマでは見かけたことがあり、ちょっと参加してみたかったのだが、この提案はTたちに拒絶されてしまい、参加者が座るべき席を自分たちが占拠しているのもいかがなものかと思って、わたしたちは店を出てしまった。せっかくの機会だったのに、見ることもできなかったのは、ちょっと残念だった。
この日は、山行後のドライブで疲れていることもあり、パブ・クロウリング(パブ巡り・はしご)は一軒だけにして、ホテルに帰った。明日は、バードウォッチングとウィスキー蒸留所巡りをしてから、ケールンゴルム山地の麓のアヴィモアへ行く予定である。