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北のアルプ美術館 館長・山崎猛氏急逝される 山書月報2020年7月号より転載

花島徳夫

道東・斜里岳の麓に北のアルプ美術館はある。山崎猛さんが私財を投じて一九九二年に開設された。その山崎さんが五月四日に、急逝心不全にため急逝された。自ら車の運転中に突然心肺停止により帰らぬ人となったと奥様よりお聞きした。
北のアルプ美術館は、串田孫一を代表に、尾崎喜八、畦地梅太郎、深田久弥、内田耕作等が同人となって作られた山の文芸誌「アルプ」から由来し、その関係の原稿など貴重な資料が展示されている。
二〇一二年六月、開設二十周年記念として「串田孫一の仕事部屋・書斎・居間」が本館一階に復元された。その事業の一環として六月十七日、私が今でも活動を続けている元日本ヒマラヤンアドベンチャー・トラストの代表・田部井淳子さんが山崎さんの招きに答え斜里に来て、「人生は八合目からがおもしろい」をテーマに百三十五人の聴衆に講演されたことが北海道新聞に掲載された。
当美術館と日本山書の会・道内会員との連携は開設当初より記録が残る。山書月報一九九三年八月三六七号に「記念山行、十月九~十一日斜里町に昨年オープンした北のアルプ美術館訪問と斜里岳、藻琴山登山」とある。翌年九四年九月三八〇号にも第十二回北海道集会予告十月二十二日、当別金沢文庫にて、話題「『アルプ』および北のアルプ美術館について」と。その折、山崎館長も参加されている。
二〇〇四年二月に斎藤俊夫さんが亡くなられた。その後八年間浪子夫人が引継いてきた金沢山岳文庫は閉館を期に迎え記念して、二〇十二年八月二十六日全国総会を当地にて開催することにした。蔵書の一部は、会員に頒布され、図書館にも寄贈された。(高澤光雄「金沢山岳文庫来訪者名簿 四冊を慨記」より)それでも多くの貴重な山岳関係の書籍や資料が残った。山崎さんと浪子夫人、高澤さんとの間で、話合いが持たれ、家具等含め全てが北のアルプ美術館に縁有り引き取られることになった。山崎さんは、新たに北のアルプ美術館開設二十五周年記念事業として「斎藤俊夫山岳文庫」設立を言われ、二〇一七年六月十五日に一般公開されることになった。
公開前の五月二十日に全国総会を、東川町キトウシ高原ホテルにて開催した。翌二十一日には、参加者全員二十名が北のアルプ美術館を訪問し、山崎氏のご厚意にてゲストハウスに宿泊することとなった。
「斎藤俊夫山岳文庫」は白樺林の中にログハウス調の瀟洒な建物で、中には斎藤さんが使用していた、大きな机が設置され、当別時代を思い出させる。山岳関係の蔵書を初め、自身の筆による絵画も多く展示されている。収納用の引出しには、一原有徳さんの版画沢山眠っていた。建物の中央には、広い窓が有り、五、六人座れる椅子とテーブルが置かれている。庭の眺めながらゆっくり時を過ごすのに良い。全てに、山崎さんの丁寧なお仕事ぶりが分かる。
二〇一七年七月六五四号で上田茂春氏が「斎藤俊夫山岳文庫図録」を紹介している。私にも山崎さんから、斎藤俊夫さんの思い出を書かいほしいと依頼が書状で寄せられた。他に鮫島惇一郎氏、高澤光雄氏も文章を寄せている。その折、山崎さんから何度か、お手紙を頂戴した。その文面には、本当に優しい人柄が窺えた。
来年北海道にて、全国集会開催の折には再度行きたいと考えていた矢先の急逝には驚きが隠せません。この間の情報伝えてくれた、斜里岳の清岳荘管理人を務める北見在住の新会員・増子麗子さんに深謝します。
最後に山崎猛さんのご冥福を祈ると共に、ご親族の方々に衷心より哀悼の意を表します。そして、関係者の方々にも今後益々北の大地に北のアルプ美術館が輝きを増すことを願って已みません。                                合掌